初代社長 溝口鶴松

初代社長の溝口鶴松
溝口 鶴松
■明治45年(1945年 8月10日生まれ)

農家の次男として生まれる。
昭和6年(1931年) 多き(たき)と結婚後、実家から譲り受けた90坪ほどの場所で住居を立てその庭で小さく千両(センリョウ)を始める。
東京の花屋から種を譲り受けその指導の下に栽培。栽培した千両(センリョウ)を売るために多きと共に全国を訪ね歩き取引先を構築。

初代社長の妻たき
妻 多き(たき)
古い家と千両の作業をする女性たち
会社初期、自宅前での作業風景

鶴松は、日中戦争勃発前に韓国へ千両(センリョウ)の販売を試みました。
船便で先に千両(センリョウ)を輸送し後から釜山の港に着いた鶴松でしたが、先に送った千両(センリョウ)が寒さで凍結していまい全滅し途方に明け暮れたことがありました。
背中に背負って持ってきていたわずかな千両(センリョウ)を何とか売り、帰りの旅費を稼いだとの事です。

釜山の地図
■戦後復興後、家計も少しずつ豊かになったころ鶴松の娘が結婚

娘夫婦が東京の大久保生花市場で働きます。
鶴松の進言もあり、娘夫婦はその後独立し東京自由が丘に花市場を開業しました。(現在では他市場と統合し「株式会社世田谷花き」となっている)

二代目社長 溝口富造

■千両(センリョウ)と共に若松(マツ)を一緒に生産し始めます。

妻・英子の実家の鹿島地区では若松(マツ)の生産をしていたため、千両(センリョウ)と同じ年末商材ということもあり、若松(マツ)の栽培も少しずつ着手し始めました。
この頃、関西の花市場(東洋生花)の職員が当社に自分たちの売る松を選別するために作業の手伝いにきていました。

東洋生花の山下さん
東洋生花 山下さん
■「溝口畜産株式会社」設立。(1960年頃~)主に豚、牛をメイン。

当時農家は畑の肥料を得るために各家に豚を飼っていました。
富造は大きく成長した豚を買い取りそれをさばいて売っていきました。(代わりに子豚を買い取った農家に売っていました。)
その後徐々に事業を拡大し近隣の銚子市に豚舎、牛舎を建設し畜産業を強めていきます。

■昭和60年(1989年)倉庫業を発足。大堺倉庫にて四日市倉庫(現日本トランスシティ)と契約。
富造 鶴松 タキ
富造、鶴松、タキ

三代目社長 溝口 洋一

社長と従業員
社長と従業員 松畑にて
■1991年 砂山倉庫建設
■1992年 第三倉庫建設
■1995年 神栖市波崎に「溝口ビル」建設
■平成13年(2001年) 弊社所有の牛舎売却、畜産業廃業
■業種転換により社名を「溝口畜産株式会社」から「農業法人ミゾグチファーム」へ社名を変更

松、千両(センリョウ)をより本格的生産、出荷していく

■2002年頃 お菊の松、ピンポン松を栽培

当時野中菊さんが小さい農家でも売れる松として、関西の西日本花きの磯野さんから助言をもらい作り始めました。

■2006年 関連会社の株式会社茨城ロジテックを設立
■2008年 第五倉庫を借入 翌2009年購入
■2010年 外国人実習生受け入れの為に「おらが村事業協同組合」設立             

      (2024年 4月解散)

■2017年 4月 宝山倉庫建設
■2019年 若松(マツ)、千両(センリョウ)の選別機械導入
■2020年 2月 柳川倉庫建設
■2021年 農業用ドローン導入

      主に農薬散布に使用

■2023年 株式会社茨城ロジテックへ倉庫業を移管

      倉庫業の方をロジテックの方で管理、経営していく

現在に至る

初代の鶴松が事業を始めてからほぼ1世紀。
その時々でたくさんの方の力を借りながら千両(センリョウ)と若松(マツ)と共に成長してまいりました。
これからも花を育てる営みを通じて、長く地域と文化に貢献できる農業を築いていきたいと思います。